作品解説/あらすじ

作品解説

本作品では、4つの<大きな実験>が行なわれています。

1.近松門左衛門が描いた極めて日本的な情緒・情念の世界を、いかにフラメンコで表現するのか ということ。

鍵田・佐藤は、演劇的手法を大胆に取り入れ、シンプルかつテンポよく物語を説明・構成。しかもその“説明”はオリジナルな動きで極めて舞踊的に表現されているため、見るものの心を近松の世界にぐいぐいと引き込んでいきます。さらに具体的な感情を、独自の身体表現で、踊り手たちは舞います。鍛え抜かれた体に感情が内からあふれ、雄弁な肉体が提出されるのです。その圧倒的な表現力で見るものの心を奪います。

2.日本語の歌詞で歌われるオリジナルな音楽で全編を上演していることです。

日本語でカンテ(フラメンコの歌)を歌う――、これはフラメンコの世界では、ほとんどタブーとされてきたことです。フラメンコは、踊り・ギター・カンテが三位 一体となって表現されるもの。特にカンテは、その要となるもので、フラメンコ独特のリズム、ノリは、スペイン語と不可分のものとされているのです。

阿木燿子作詞、宇崎竜童作曲による楽曲は、もともとロック版「曽根崎心中」のために作られたものですが、それをフラメンコ化して(フラメンコ独特のリズムに乗せて)歌っています。日本語の歌は言葉の威力を改めて感じさせるもので、阿木の歌詞は、しっかりとした骨格をもちながら、近松の世界と現代とを橋渡しし、宇崎の音楽は、通常のフラメンコ曲よりもメロディアスで、それが一層、舞台を盛り上げています。

3.楽器編成は、フラメンコギターを軸に、篠笛、和太鼓といった日本の伝統的和楽器を取り入れ、さらにピアノ、パーカッションが参画、大胆なコラボレーションを成功させました。

こうした試みを成功させたことで、本作品はこれまでのフラメンコにはなかったエンターテイメント性とポピュラリティを獲得した作品と言えます。

4.衣装においても 和のテイストをベースにした物で フラメンコの激しい踊りを表現できるような工夫が随所に取り入れられています。

原作「曽根崎心中」について


「曽根崎心中」は曽根崎で実際に起こった心中事件をもとに作られた近松門左衛門の代表作。1703年、大阪の竹本座で初演され大ヒット。歌舞伎の世話狂言の形式を借りて作られた最初の世話浄瑠璃である。

 心中、殺人、密通などの実際に起こった事件をモデルにした作品は、当時数多く作られていた。「曽根崎心中」が他の作品と大きく違っていたのは、事件を見せもの的に描くのではなく、徹底して主人公ふたりの立ち場から書かれている点にある。愛情や名誉を大切にするからこそ世の中とぶつかるという、若者の純粋さゆえの悲劇を描くことに成功したのだ。主人公たちは、破滅を避けることはできなかったが、それは人間として生きるための情熱的な行為であり、この世でなしとげられなかった思いを天国で果たすという、日本的な「救済」の思想に支えられている。

写真:柏原 智

あらすじ


 元禄16年(1703年)に起こった、哀しく激しい愛の物語。大阪の曽根崎に、叔父の経営する醤油屋に勤める徳兵衛と天満屋に身を置く遊女・お初という、恋人同士がいた。二人は、将来結婚しようと誓い合っていた。だが、店の主人は、商売熱心な徳兵衛を、姪と結婚させようと 話を進めていた。徳兵衛がなかなか承諾しないので、主人は徳兵衛の継母に、大金を渡して話をつける。それを知った徳兵衛は、自分の妻は お初しかいないと訴えるが、主人は聞き入れない。徳兵衛は継母の家に行き、主人から受け取った大金を主人に返すために取り戻した。その帰り道、徳兵衛はばったり出会った親友の九平次に、金を貸してほしいと懇願される。人のいい徳兵衛は断りきれず、主人に返すための大事な大金を、九平次に貸してしまった。

 だが、約束の日を過ぎても、九平次は、金を返しには来なかった。一方お初の身にも、身請け話が持ち上がっていた。そんなある日、運命に追い詰められた二人は、久しぶりに生玉本願寺の境内で再会する。するとその時、町衆といっしょに九平次が現われた。「金を返せ」と迫る徳兵衛。「金など借りていない」と開き直る九平次。九平次はさらに、徳兵衛が店の金を使い込んだと町中に吹聴し、町の人々は、九平次の嘘を信じた。

 落胆した徳兵衛は、お初が働く「天満屋(てんまや)」に人目に隠れてやってきた。徳兵衛をかくまうお初。そこへ九平次が店にきた。 大金を使い我が物顔であびるように酒を飲む九平次。すべてのことが、九平次の思い通りに進んでいた。 そもそも、遊女であるお初は、 自由に徳兵衛と結婚できる身分ではない。九平次の企みにだまされた徳兵衛も今では追われる身。商人にとって一番大切な信用を失い、 叔父でもある主人に合わせる顔もない。

 お初は、どうせ生きて結ばれることがないのなら、天国で夫婦になろう、愛をまっとうして一緒に死のうと、徳兵衛に迫る。追い詰められた自分のために命を断とうというお初の心に、徳兵衛は心中を決心する。ふたりは店を抜け出し、曽根崎の森へと向かう。そして、天国で夫婦になることを固く誓い合って、愛と名誉を守るために、心中を果たしたのだった。

原作者 近松門左衛門(1653年~1724年)

 人形浄瑠璃、歌舞伎の脚本家。「曽根崎心中」「心中天の網島」など数々の名作を世に送り出し、近世の庶民の生々しい人間ドラマを鮮やかに描いた。

 武士の家に生まれるが、父は途中で浪人となり、やがて近松は武士の身分を捨てて、芸能の道に身を投じた。

 近松が生きた時代は、歌舞伎や文楽の成熟期。当時、人形浄瑠璃、歌舞伎は人々の娯楽の中心で、活発な上演活動が行なわれていた。近松は脚本家としてその中心的な役割を果たし、数多くのヒット作を生んだ。世話浄瑠璃の創始者であり、歌舞伎・文楽の今につながるスタイルを確立した日本の近世文学史上最も重要な作家である。

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